このWikiページは、MMP/The Gamers社が出版するOperational Combat Seriesに関係する情報集積所です。

 このあまりに長く、非常に困難なプロジェクトの後で、まだ述べられていないことで語っておくべきことを考えるのは大変なんだけども……まあともかく。

 このゲームが完成し、あなたの手に届けることができたのは、非常の多くの人々の膨大な(そしてその多くが無償の)努力のおかげです。このプロジェクトにテストプレイ担当の方々やリサーチ担当の方々のどれだけの時間がかけられたのかは想像することもできないほどです。私自身が費やした時間は分かりますからそれゆえに、テストプレイ、校正、長く忘れられていた史料のチェック、次から次へと重ねられた議論などに関して(それがのべ時間に換算できるのだとして)かかった時間の総計を考えると空恐ろしくなるほどです。

 幸いにも、あなたが更にこれをいじくり回そうとするのでなければ、デザインの過程で百出した議論を繰り返す必要はなく、あなたが今座っている場所でこのゲームはプレイされ得ることでしょう。もしあなたが「ノブを回す」のならば、どのようなことが分かったか、私に教えて下さい。テストプレイ期間中に相当数のバージョンが実際に試され、そのうち多くのものが史実に合致しないことが分かりました − しかしそれらを組み合わせて試す作業には終わりがありませんでした。

 このゲームをいじりたいと考える人達(と単純に好奇心を持っている人達)のために、どのような議論があったかと、最終的に私がどうそれらを処理するということにしたかを挙げておくことにします。


■ドイツ軍の介入
 多くのプレイヤーが、ドイツ軍が介入しない可能性についてデザイン上どう扱うのかを心配していました。それは要するに、1940年後期から1941年早期にかけてイタリア軍がもしよくやった(あるいは少なくとも壊滅的打撃を被らなかった)ならば、ドイツ軍はこの戦域に来ることはなかったろうということなわけです。言わばこれは、確かにムッソリーニが自分の好きなようにやった場合だということになるでしょう − 北アフリカはムッソリーニの担当戦域だということになっていたのであり、彼はチュートン人(ドイツ人のこと)の干渉を受けたり、あるいは戦利品を分け合うようになることを望んでいなかったのです。また実際問題として、イタリア軍プレイヤー達は自軍の弱さを意識するあまり、多くの北アフリカ戦ゲーム(弊社の『Afrika』もその一つでした)においてエジプトへ侵攻することを拒否してトブルクに座り込んだまま、ドイツ軍がやってくるのを待つことがありました。そこで私はルール的に、イタリア軍が前進しなければならないことにしました(ここでは歴史上の選択肢を持つことは許されないわけです)。

 しかしこれでも、もしイタリア軍が非常にうまくやったならばどうやってドイツ軍が現れることになるのかという直接的な問題は避けられません。ですが、我々がテストプレイした限りでは、エジプト西部でのイタリア軍の破滅はかなり確実であるように思われました(破滅しないようなプレイにはまだお目にかかったことがありません……だからこそ、この段階を飛ばして41年3月末からの開始を選ぶプレイヤーがいるのでしょう)。より良いのは、もし万が一枢軸軍プレイヤーが恐るべき成功を収めた(あるいはイギリス連邦軍プレイヤーが単に大失敗をした)なら、ドイツ軍部隊がアフリカに到着するまでもなく枢軸軍がサドンデス勝利を得たことにするということでしょう。実際のところ、ドイツ軍は自分達が到着する前にゲームが終わってしまうと思われるものに介入しようとは思わないでしょうから。

 また、プレイヤーがわざと下手にプレイするように誘導してしまうような一連のルールが存在してしまっているという問題もありました(下手にやればドイツ軍が来てくれて、うまくやればそうならないのですから)。ドイツ軍の来援を得るために極めて変なプレイをしている人を見たこともありますし、プレイヤーがそういう類のことをするであろうことは容易に想像がつきます(あるいはイギリス軍プレイヤーにそれを避けさせるか……というのはイタリア軍プレイヤーは突然しばらくの間、敵がうまくプレイすることを期待するというわけですから)。また、このことはプレイヤー達に、イタリア軍指揮官達はドイツ軍の来援というチャンスを台無しにしたくなかったから史実においてそこで攻勢を停止させたのだ、という誤った考えを抱かせる恐れもあります。これは全く事実と異なります。

 個人的には、サドンデス勝利が得られるほどに充分に素早い前進が可能な方法を探して、私は今でも9月侵攻キャンペーンをプレイし続けています。私はまだそれを成し遂げてはいませんが、難しいパズルほど楽しいではないですか。41年3月からのそれにまっすぐ向かってしまう前に、一度試して欲しいと思います。私はマトルーを占領することはなし得ることだと思うので、なんとかして成し遂げたいところです。


■道路による一般補給
 シリーズルールとは異なり、『DAK』では一般補給をたどるために道路を使用することができます。初期のテストプレイでは、マップ上の補給ポイントを消費して一般補給を引かなければならないというルールでやってみました(ナイルデルタ以外では大した鉄道はなく、一般補給は通常たどれないわけです)。ところがこのやり方では大穴があいてどうしようもないということがすぐに分かりました。プレイヤーの使用できる領域は非常に狭いものになってしまっていました(歴史上可能であったよりも遙かに)。これでは、その時その時に歴史上使用可能であった部隊の量によって − あるいは、偏りの激しい可変補充がどれだけあったかによって、結果が決まってしまうことになるでしょう。また奇妙なことに、船舶輸送の量は最初からいるイタリア軍をほとんど餓死状態にしてしまう一方で、ドイツ軍の機動部隊に史実以上の補給を与え、非常に活発に動けるようにしてしまっていました。はっきり言ってこの方法は、よろしくないどころではないダメダメな代物で、我々はうまくいく方法を考えねばなりませんでした。

 若干不安を抱えながら、私はこのゲームに一般補給のために道路を使用できるというシステムを導入してみました。その結果は最初から素晴らしいもので、このやり方以外はもう考えられなくなるほどのものでした。プレイヤーの負担が劇的に軽減され(それまではOCS共通ルールv1.0における『GB』の如き労働量でした)ただけでなく、史実の動きもたやすく再現されるようになったのです。さらに、テストプレイ状況が安定してきたため、得られた結果をフィードバックして補給量や輸送力を微調整することに力を傾けることができるようにもなりました。プレイアビリティの高いシステムと優れた史実再現性という、2つの長所を兼ね備えた結果となったことに、私は大変満足しています!


■守備隊
 このゲームの初期のバージョンでは、両軍のそれぞれの後方地域に実際に、大量の守備隊を置くようにしていました。そこで見られたのは、プレイヤー達がトリポリタニアとナイルデルタの双方から、その守備隊の任務をすぐに放り出させて、前線にまっすぐ向かわせてしまうというものでした。多くの制限をかけなければ、確かにそうしない理由はありません。それゆえ、2つの異なった解決方法が必要となり、それぞれを両陣営に適用することにしました。

 イタリア軍の場合、マップ西方の大量のユニットを、前線には投入できないようにゲームから省略してしまいました。省略されなかったものは(結局は)マップ上で動かせてしまいます……途方もなく長い距離を移動させることを厭わないのであればですが。いくつか残した部隊に関しては、プレイヤーが前線に投入するかどうかを決められるように、私は制限をかけないでおくことにしたのです。

 イギリス連邦軍に関しては、プレイヤーが受け取る「堡塁旅団( Fortress Brigades)」の中に、多くの小部隊を含めてしまうことにしました。これらのユニットは、この戦役中にこの戦域に入退場した数多くの小部隊を表しています(言い換えれば、これら堡塁旅団は他の(実際の)イギリス連邦軍旅団よりももっと一時的なものに過ぎなかったわけです)。開始時には、これら堡塁旅団は以下のものより構成されています。

Matruh:the 1 Cheshire MG Bn, the 1 Welch Infantry Bn

Alexandria:the 1 Durham Light Infantry Bn, 1 South Staffordshire Bn, 1 Royal Notts Foresters MG Bn

Cairo:2 Black Watch Bn, 2 Scots Guards Bn, 1 Royal Sussex Bn, 1 Hampshire Bn, the 3 Libyan Refugee Bn


■チュニスは?
 北アフリカ沿岸への船舶輸送量を増加させようと、枢軸軍は(ヴィシーフランス領内であった)チュニスへの荷下ろし許可を得ようとしました。これに彼らは失敗しましたが、個人的にはこの件は理解しがたいと感じています。というのは、チュニスはトリポリからさらに500マイルも遠方にあり、枢軸軍はそれより前線に近い場所から換算してさえ、物資を運ぶだけの輸送手段を持っていなかったのです。チュニスの港湾をつけ加えることはアフリカへ上陸させる物資の量を増やすことにはなるでしょうが、前線に届けることのできる物資の量を増やすことにはまったく繋がらないだろうと私は思います。チュニスを使用することは、前線に届けられる物資の量を減らすことになるだろうとさえ言えます − なぜなら、どこか他の場所で使用できたであろうトラックを、チュニスからトリポリへの物資輸送に回さなければならなくなるわけですから。


■イギリス軍の補給
 ナイル川の港湾都市を無限の補給集積所として使用する(そこから「物資」を運ぶ能力にだけ制限を受けるということです)ことによって、どこか他の場所にある無限の補給集積所からプレイヤーがSPを運んで来なければならない手間を軽減することに役立ちます。ただしカイロは、他の使用可能な大港湾とは異なり、そのような補給集積所ではありません。むしろ、カイロは「マイナスの意味の」補給集積所なのです(というのは、大きな人口を抱えていたからです)。ヒット数の制限と港湾が機能していることという2つの制限を付けてあれば、このような無限の補給の集積所はすでにプレイアブルな代替手段であることが判明しています。

 ナイルデルタの港湾の許容量が比較的「小さい」ことに気付く人がいるかもしれません。これはエジプトの人口全体にとって必要な船舶輸送量を引いた結果です。ナイルデルタの港湾には非常に大きな揚陸能力があるのですが、それらの大部分は民生部門に向けて使用されていたわけです − それにまた、パレスティナ方面に対してもそれらは振り向けられなければなりませんでした。

■地域外の戦役
 私は元々、この地域外の戦役を扱うための精巧なシステムを念頭に置いていました。それらの諸戦役はランダムに開始され、プレイヤーは望むだけの戦力を送ることができます(ある程度の最小限の戦力は指定されることになりますが)。プレイヤーは完全に最低限度の戦力しか送らないでおくこともできます(ただしその戦役はぐずぐずと長引くことになり、ベトナム戦争のようにさらなる兵力を必要とすることになるでしょうが)し、もっと大兵力を送ることもできます(迅速にその戦役を終わらせるために)。このようなやり方で、マップ上に影響を与えるような地域外の戦役を「コントロール」できるわけです。例えばシリアでの反乱が始まった場合、プレイヤーは(もしマップ上での状況が許すならば)シリアでの反乱が長い間続くのを承知の上で、最低限のユニットしか送らないでおくことができます。逆にプレイヤーは、部隊が早く帰ってくるように、シリアの反乱に過大な戦力を送ることもできるわけです。

 コンセプト的には、これは良いように思えました(今でもそうです)。しかし実際上、これは最悪のものでした。私はこのコンセプトに長い時間をかけましたが、結局意図したようにこのシステムを機能させることができませんでした。ウォーゲーマー諸氏の「暗号を破る」能力が(たとえ私がどんな暗号を考えたとしても)あまりにも強力であったため、最終的にこのコンセプトはお蔵入りとなってしまったのです。結局、今の特別ルールにあるような、史実を元にしたランダムイベントシステムにそれは置き換えられました。この最終的なシステムは非常にスムーズに機能しますが、私が最初考えていたようなゲーム内ゲームのようなものにはなりませんでした。私はまだいつの日か、私が考えていたようなシステムをうまくいかせることができるような解決法を思い付くことができるのではないかと希望を持っています(ただし、膨大なルールを追加することなしに……ということは申し添えておきますが)。しかしさしあたって、元々のバージョンをうまく機能させられずに、この現状のバージョンに道を譲らざるを得なかったのだということは、認めざるを得ません。私は現在のシステム − スムーズかつ補助的な − を気に入っています。誤解して欲しくないのは、私は過去における風車への突撃を決して繰り返しはしないということです。

■ささいなことですが……
 北アフリカ戦はおびただしいほどの情報によって祝福されて(呪われて?)います。その情報量はリサーチ担当者に、ごく小規模なユニットに関して信じられないほど詳細で正確な跡をたどらせることができる一方で、そのあまりにも多量の詳細さがかえって全体像をわかりにくくさせる原因にもなりました。その完全な詳細は圧倒されてしまうような、信じがたいほどのものでした。

 例えばイギリス連邦軍は、統一性が見えない大隊を集めて旅団を編成していました。この混乱をプレイヤーが管理したり意識したりしないで済むように(あるいはまた正気を保っておくためにも)、大隊ではなく旅団の方を追いかけて調査していくことにしました。このことはまた、イギリス軍の戦術的柔軟性の欠如を表すことになるという効用もありました。

 かなり長い間私は、敵側から「ジェリ缶」を採用するまでイギリス軍が使っていた4ガロン入りのブリキ缶の影響を表せるようなルール群について考えていました。しかしそれは多くの歪みをもたらすものでもあり、私自身大いに納得の上で最終バージョンから除外してあります。

 テストプレイの時には標準ルールとしていたものの多くをオプションルールの部分に移してありますが、それはその量があまりにも膨大で大変であろうということからです。確かに、自分のトラック(の類)も分解修理しようというプレイヤー達は、彼らが把握すべき「ほんのちょっと」の労力の追加がなんであれ思い悩みはしないでしょう。しかしそうではないすべての人々のために、それらのルールはオプションとし、ただし分解修理が趣味であるような人達のために、それを使用できるように置いておくことにしたのです。

 私はこの戦役中に諸部隊が経験した数多くの小さな編成上の変遷、あるいは装備の転換をゲーム中に反映させることにしました。多くのユニットが交換されていったりするのはこれが理由です。確かに、「だから何なの? たった1個の歩兵大隊が追加されたからといって、どうでもいいじゃん。」(とか何とか)と言うプレイヤーもいるでしょうが、その増加がディテールを増すことは良いことだと私は思うのです。この情報は大した苦痛を伴わずに(キャンペーンゲームでしか変換しないわけですから)、ゲームの進行につれて小規模なユニットに関する非常に豊富な情報をプレイヤーに与えることができるのは確実だと私は信じています。

■要約すると
 私がそのゲームを欲しいと思い始めたのは1976年(かそこら)のことで、その頃SPIがプレイヤーの意見を反映したゲームを作っているらしいという噂が流れてきて、それは結局リチャード・バーグによる『Campaign in North Africa』【いわゆる『Campaign for North Africa』のことだと思われる】として出版されることになりました。隔月巻のS&T誌を入手するたびにそれを握りしめながら、私はこの"長らく待望したゲーム"が届けられるのをひたすら待ちました。その開発が2年も遅れている間に私はこの開発中のゲームに関するあらゆる報告、遅延の知らせ、進行状況に関する手がかりを探し回りました。それに私は、このゲームがどんな風になるだろうという私自身のイメージを膨らませていったのです。私の期待は高すぎたのかもしれません。

 いよいよ販売の申し込みが始まる段になって私は即座にそれに申し込み、固唾をのんで待ちました。

 そのゲームが来た後……。

 その年以来、私はこのゲームをプレイしたという数多くのプレイヤーに出会いました − ある人は30ターンプレイしたと言っていました。しかし私はついにこのゲームをプレイすることはありませんでした。私はその硬い膜を突き破り、"理解する"ための試みを何回も行いましたが、それは結局うまくいきませんでした。そうするための一人の努力は実らなかったのです!

 あなたが今手にとって見ているものは、私が今までに立案し、かつ粉骨砕身した企画の中で、最も精密かつ正確なゲームとなります。このゲームはあの時の夢の実現であり、その点において素晴らしくもやばいゲームだと言えるでしょう(もちろんこれが偏った見解であることは承知です……しかし私は少なくともこのゲームをプレイはしたわけです − ソロプレイだとしても!)。あなたがこのゲームで多くの時間を楽しみ、私の夢を共有して下さることを願っています。あなたが私の仕事を気に入ってくれますように。

 ふう〜!!!

 あなたがこのゲームを楽しめ、そして、いいダイス目でありますように!

 ディーン

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